拗らせ女子大生のつぶやきblog

タイトルの通りです。日頃思ったこと考えたことをツイッターに連投してしまうのでブログという形で残そうと思い立ち開設しました。内容は様々です。

空っぽニンゲン

コンコン、って音がしそうだなって。

 

突然思い立って書き始めたこの記事ですが、

 

完全に見切り発車の午前2時です。

 

 

 

 

なぜこんな文章を書きたくなったのかって、

 

あまりにも自分の空っぽさに愕然としたからです。

 

 

 

恋人ができました。

 

私は今まで恋人を作ったことがなく、

 

言い寄られた人は皆、

 

私じゃなくても、誰でもいいからみたいな人ばかりでした。

 

後々酷い人だと発覚するのを繰り返したり。

 

 

 

恋人になってくれた彼は本当に優しい人で、

 

頭の回転も早く、考え方や価値観も似ていて

 

一緒に過ごす時間はとても心地が良いものです。

 

 

少々(?)財布の紐が緩いのが心配ですけど。

 

 

 

彼はたくさんの無償の愛を私に伝えてくれました。

 

人の愛し方を知っているニンゲンなのです。

 

 

私とは全然違う人なのです。

 

私には人の愛し方がわかりません。

 

 

一人っ子ゆえ、親からは束縛的な、息がつまるような愛情はたくさん受け取ってきました。

 

 

でもそれにもう私は嫌気がさしています。

 

 

嫌気がさしてしまいました。

 

 

そうしたら、愛情そのものを拒絶するようになってしまったのでしょうか。

それとも最初から息苦しい愛し方以外学んでこれなかったのでしょうか。

 

いざ愛してみようとしたら、どうしていいのか全くわからないのです。

 

 

 

 

何て薄っぺらくて、何も、何も生み出せないニンゲンなのでしょうか。

 

 

 

彼からの愛情の受け取り方も、

 

愛情の施し方も、

 

よくわからないのです。

 

 

 

私の変な愛し方を彼は受けて、嫌な思いをさせるかもしれませんし。

 

不幸ばら撒きマシーンです。

 

彼が幸せならそれでいいんですけど

 

私は彼に何を与えられるのでしょう。

 

 

 

逆に今までの人生、何か私の中に蓄積されたものはあったのでしょうか。

 

 

 

船に乗ってゆらゆら気ままに流れるような、

 

そんなふらふらした人生を送ってきました。

 

 

 

 

彼の生い立ちは私とは全く違うものだし、

 

人と人には絶対に破れない隔たりというか、

 

境界線があるというのが、

 

改めて意識下に浮上してきて、絶望する、

 

 

そんな夜です。

 

 

 

だからこそ、

 

その境界線が触れかけたり、また離れたり、

 

交わりそうになったりするのは

 

本当に美しくて素晴らしいことなのでしょう。

 

 

 

 

私のような、

 

叩いたらコンコンと音がなりそうなニンゲンには

 

到底難しいことですが。

 

 

死ぬまでには、

 

愛を自由自在に扱って、

 

人との境界線を跨いでみたいものです。

 

 

 

コンコンって音、

 

壁でも西瓜でも悪いみたいに言われるよなあ。

 

 

 

空洞って良くないのかな。

 

 

 

 

aro