拗らせ女子大生のつぶやきblog

タイトルの通りです。日頃思ったこと考えたことをツイッターに連投してしまうのでブログという形で残そうと思い立ち開設しました。内容は様々です。

不幸依存症

 

※相当書き殴った文章ですので何となくさらっと読み流していただけると幸いです。

 

 

不幸自慢って最近疎まれることが多いですよね。

 

 

「俺今日3時間しか寝てないわー」

「俺なんて徹夜だよ」

 

 

「今日からバイト3連勤なんだ〜最悪」

「私も今日から5連勤だよ〜」

 

 

こういう不幸の押し売り、日々当たり前のように耳にしますし、私もこういう会話はします。

 

特に大学生なんて”寝てない自慢”で誇り合ったりとか。

日常茶飯事です。

 

 

 

私はこのような会話が正直嫌いです。

 

 

まず、上記の会話例もそうなっていますが、

マウンティングが始まる確率がかなり高い。

 

 

きっと二種類の人がいるのではないかと思います。

 

1つ目は、

単純に慰めて欲しい、元気付けて欲しいだけで、

返答にも激励の言葉や同情を表す言葉を選択する人。

 

2つ目ですが、

そもそも”不幸自慢”という言葉を創り出せる発想の方です。

 

 

 

そして、(この国の、と言って良いかはわかりませんが)多くの人々は後者ではないかと体感しています。

 

 

 

そもそも自慢することで何が得られるのか?という話になりますが、

 

それは”外部に依存した自尊心の守備”、のようなものだと思っています。

 

自尊心は、健康な心の状態を保つために大変重要な役割を担っています。

 

 

自尊心を構成する要素として、

 

自己肯定感(自分による自分の肯定)と、

自慢のような、他者による(他者との比較による)自分の肯定

 

が挙げられると思います。

 

 

ステレオタイプのようであまり言いたくないのですが、

日本は自己肯定感が低い人が多いと言われます。

 

完全に憶測になりますが、

日本が敗戦国であり、急激な高度経済成長期への移行の流れで、

 

日本人の根底には

”不幸で弱いものが必死に努力をして上り詰めていく” という

いわば美徳のようなものが流れているのでないでしょうか。

 

楽をしてお金を稼いでいる人や、才能があって努力を怠る人を見ると、

なんとなく嫌な気持ちにならないでしょうか。

 

 

私は、最大多数の最大幸福を実現する社会が目指されるべきものだと思っています。

 

生活保護費を受け取っている方々が、

「明日も生きていいですか」という旗を掲げている写真に対し、

そんなことをしているなら働け、生活保護費より少ない給料で働いている人もいるんだ、というコメントがついているのをtwitterで見かけました。

 

なぜ生きることに対して他人に許可を得なければならないのでしょうか。

 

生活保護費より少ない給料で働いている人が偉い?

 

国は健康で文化的な最低限度の生活を送る権利を国民に与えており、またそれが義務でもあります。

私はこのような不幸依存症の方々によるコメントがとても不愉快でした。

 

 

 

”日本人は努力家である”

 

多くの人が今まで一度は聞いたことがある言葉でしょう。

 

この努力が指すものとは、一体何なのでしょうか。

 

 

努力した先に、何を求めているのでしょうか。

 

褒められることでしょうか。

 

幸せになるために、努力をしているのではないでしょうか。

 

 

その意味でいうならば、

日本人は幸せになることに対して、大変怠惰であると思います。

 

 

努力するということは、辛いことを我慢して、自分に鞭打つことだけではないと思うのです。

 

そして、褒められるのは辛いことを我慢しているのを自慢する人ではなく、

幸福になる努力を怠らずに目標を実現した人なのです。

 

 

生活保護の例を挙げるなら、

生活保護費の額は国から”義務付け”られた最低限の幸福とも言えます。

 

なぜ、120円の魚が配られている横で、不幸自慢をしながら100円の魚を買うのでしょう。

 

 

そして、それを誰かが褒めますか?

 

滑稽だとは思わないでしょうか。

 

生活保護費以下の賃金で働いて、誰が幸せになりますか?

 

 

不幸な自分に酔いしれる、いわば自慰行為のようなもの。

そして改善しない(幸福を目指さない)言い訳にする。

 

一番可愛いのは自分ではないですか?

 

 

日本人のそのような不幸依存体質がブラック企業の存在を許し、

より良い社会の構築を阻んでいる、そのようにも感じられます。

 

 

不幸自慢をするくらいなら、幸福自慢をしましょう。

 

 

 

 

 

「昨日美味しいケーキ食べたんだ。」

 

「今日はすごくたくさん寝れた。」

 

 

幸福な会話がたくさん聞こえる社会になるよう。

 

 

 

 

 

 

悲劇のヒロインの物語に生きる人を見るのは、もうこりごりです。